金木町は太宰治の生まれた町です。こちらの八幡宮は生家である斜陽館の斜め向かいに鎮座しています。
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拝殿です。今の社殿は明治41年に再建されたものです。
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狛犬が手拭でほっかむりしています。北津軽方面に多いスタイルです。
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八幡様のお使いの鳩も手拭をしていました。
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馬も。
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1796年、菅江真澄も参拝しています。
菅江真澄 外浜奇勝より
「金木の里にでて、ここにうつしまつっている八幡宮は由緒ある神社と聞いたので、幣を奉ると、大蔵の松という木が拝殿の軒をおおってたっていた。その由来をたずねると、むかし、この国の守とかの御兄弟で大蔵と申された方が、みずから植えられたものだ、とこたえた。」
東洋文庫版 菅江真澄遊覧記2 寛政八年(一七九六年)六月十八日の日記より引用
大蔵は津軽三代藩主信義の子。1655年頃に植えられたその松は明治のころ焼失してしまったそうです。