国史跡七戸城跡は、根城南部氏(八戸氏)の一族である七戸南部氏の居城でした。
天正19年(1591)に九戸政実の乱が起り、七戸南部氏は九戸政実に与力して戦いましたが、豊臣軍に滅ぼされます。七戸城も落城、破却されました。
七戸南部氏の領地は三戸南部氏(後の盛岡南部氏)に与えられ、その後、七戸地方は盛岡藩の直轄領になり、七戸城跡には代官所が置かれました。
江戸時代に盛岡南部藩の支藩として盛岡新田藩が創設され、七戸城跡に藩庁が置かれました。
明治2年(1869年)に、戊辰戦争に敗れた盛岡藩から七戸地方が取り上げられ新たに七戸藩が創設されました。ただし、2年後の明治4年(1871年)には廃藩置県で七戸県になり、その直後、弘前県と合併しました。弘前県は青森県と改称しました。
東門です。復元したものです。
旧七戸町役場の裏手からも入ることができます。
現在、城跡は柏葉公園となっています。
広々とした公園です。
遊具も置かれていました。
本丸跡の巨木です。
本丸跡の案内板です。
城域には曲輪、土塁、水濠、空堀などが現存しています。
城跡からの景観です。
姫塚というものがありました。
かつて、七戸城に住んでいた美しいお姫様が身分の低い侍と恋仲になり、ある日、殿様に知られてその侍が殺され、あとを追って、お姫様も自害したと伝えられています。
また、城跡に神明宮も鎮座しています。
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